新潟大学時代の声楽の恩師、箕輪久夫先生が逝去されました。フィッシャー・ディースカウと同い年でした。
私が言うまでもなく新潟の音楽界、特に合唱においては全国で知られた方で、あまりに偉大な存在でした。
学生には好きなようにやらせてくれました。
「何でも良いから、やりたいことをどんどんやりなさい」
「学生のうちに沢山の曲を歌いなさい」と。
先生の、学生を気持ちよく放任して肝心な場面で関わってくれるやり方の中で学生も伸び伸び育ち、今は新潟県内外の音楽シーンで独自性溢れた活動をされている方が多いです。
ほとんど怒ったことがない先生でしたが、私の卒演の一週間前のレッスンで大声で叱られたことが忘れられません。
卒業してから滅多にご連絡できませんでしたが、オランダ留学中にも合唱団にいがたの記念コンサートでハイドンのオラトリオ〈四季〉のソリストに呼んでくださったり、新潟でリサイタルをするときには必ず聴きに来てくださいました。
この数年のうちに奥様や奥様の弟さんであるピアニストの野島稔さんも他界され、お淋しかったと思います。でも数えきれない教え子、合唱団、音楽関係者の人たち誰からも慕われた先生でした。
私への最後のメッセージは、今年の1月14日(土)でした。病院の名前と号室まで書いてくださったけれど、おそらく家族しか面会できないだろうな、と会う努力をしなかったのは少し後悔が残ります。
箕輪先生の様子を時々お知らせしてくださった佐藤浩治さん、また逝去後に情報をくださった複数の方々、ご親切にありがとうございました。
26日(日)の葬儀に参列予定です。その午後に後輩先輩とアポイントを取り、会う予定にしています。大好きな新潟のお知り合いの皆さまとも一目お会いできたらよいな。
箕輪先生、安らかに…
改めて教えていただいた一つ一つを思い出し、生かしていきます。
本当にありがとうございました。